マイベストペース (石畳のん♪ 記念ブログ)

(はてなダイアリーを丸ごと移して残したブログ)

ルーツ♪

昨日は、急に思い立って実家に行きましたが
幸い母も家に居て、二人でのんびり話せました。
(父は入院中、同居の長姉はまだ帰宅前でした)


懐かしい話の中で、家族、それもチョッと
変わってたお爺ちゃん(父の父の)話題に。
なぜだか、タマにしか自宅に戻らない人で
手土産は決まって珍しいお菓子類♪でした。


で、よくわからないけど、私はお爺ちゃんを
歓迎してましたが、未だ謎が多い人、という
印象です。父が入院してボケも始まってるし
母も今年80歳なので、その内話を聞けなく
なりそうなので、昨日は色々確認しました。


「備忘録」という目的もあるので、記しておくことにします。
尚、母方の両親は、神奈川県の出身、かなり遡っても神奈川なので
今回は父方の謎多きお爺ちゃんと、その妻のお婆ちゃんについて。


◆お爺ちゃん
  滋賀県彦根の出身で3人兄弟の真ん中
  小学校を出るかで出ないかで東京に奉公に
  反物関係の外回りの仕事していたらしい
  お婆ちゃんより4つ年下


●お婆ちゃん
  千葉県千葉市の出身
  母親の姉の嫁ぎ家(渋谷で大工業)の養女となる
  そこで和裁学校に6〜7年も通い和裁の腕を磨く
  その後、内職として縫い物を請け負うようになり
  この関係で?お爺ちゃんに出会い一目?惚れ♪
  歳の差を乗り越え周囲の反対も押し切り結婚!

 
結局お爺ちゃんは、結婚に際し養子という形をとって
養女であったお婆ちゃんと結婚したそうです。本当は
出入りしている大工さんの一人とでも結婚させよう!と
養父は思っていたでしょうに、明治生まれにしては熱い
情熱を持った養女のお婆ちゃんに折れたんだと思います。


結婚してからも、お婆ちゃんは和裁一筋。しかし東京の空襲が
酷くなって、渋谷から家族で神奈川県相模原市に移転しました。
そして終戦後、息子(つまり私の父になる人)と近所の娘さん
(私の母になる人)が見合い結婚し、私達姉妹が生まれました。


近所の人に頼まれて着物を縫い続けていたお婆ちゃんは、特に
絹反物を縫うのが好きでだったそうで、手が荒れそうな水仕事は
母に任せていたそうです。色々嫁姑の問題もあったみたいですが
『和裁の腕についてはぴか一!だった』と昨日母が誉めてました。


お爺ちゃんは、こんなお婆ちゃんに甘えて、生涯ずっ〜と
自由気ままに生きたみたいです。反物の商いとか、少しは
仕事も続けていたみたいですが…晩年は、ずっと自宅に居て
何だか居心地悪そうにしていましたが、私が高校受験を終え
帰った直後に、アッサリと、天国へ旅立ってしまいました。


3人姉妹の末っ子だった私を、お婆ちゃんは特に可愛がってくれ
ました。また長姉の成人式の着物を縫うのを凄く楽しみにしていた
そうですが、長姉が『着物より、海外に行きたい!』と言ったので
お婆ちゃんはとても残念がったそうです。その後、下の姉と私は
同じ着物で成人式を祝いますが、その時お婆ちゃんは天国でした。


最近(実は昨日も、素敵な着物姿の人を見かけ思わず声を掛けました)
なぜかとっても着物に興味が出てきた私です。体系は…ハッキリ言って
全然着物向きではありませんが、いつか正式に習いたいと思っています。
あっ、和裁ではなくて、着付けの話ですが。(^。^)h いつになるかな〜?